色黒大阪人が気ままにつぶやくブログ

色黒で大阪人で人事(過去形)な僕がなんかつぶやきます。

文武両道ではなく、文武一道ではないか。

夏ですね。

野球が大好きな僕にとっては甲子園のシーズンでもあり、1年の醍醐味が詰まった季節です。

そんな中、ある甲子園出場校の監督さんが

「私は文武両道が好きじゃない」という主旨の発言をして叩かれているのを見ました。

言い方に棘のある記事だったので炎上するのはまあ頷けるのですが、根本の考え方は僕も同じだったので、少し記事を書こうかと思います。

そもそも文武って分かれているのか

文武両道。

学校生活とかだと、部活も勉強も頑張っている、というニュアンスでよく使われるイメージです。優等生のイメージですかね。

僕自身、そこそこどちらも出来たので、近所のおばちゃん(大阪なので)たちによく「文武両道で偉いね」と言っていただいた記憶があります。ありがたい。

僕の場合は「武」は野球だったわけですが、そもそも文武、勉強と部活って全く別のものなのでしょうか。

僕の考え方は、文武は同じ1つの流れの中の違う要素に過ぎない、というものです。

もちろん、野球の練習しているだけでテストの点数があがるという意味ではありませんが、ざっくり言えば

「部活を一生懸命やるからこそ、勉強も一生懸命やるし、

勉強を一生懸命やるからこそ、部活を一生懸命できる」

という感じでしょうか。

学校生活という一連の流れの中に「文武」がある

部活の朝練を6時からやって、授業があって、放課後の練習がある。

その中には文化祭や委員会などそれ以外の学校生活の要素もありますが、それら全部を含めて一連の流れなんですよね。

流れ、ということはどこかで手を抜くとその流れは緩やかになったり、せき止められたりするわけで、

勉強で手を抜くことは大好きな部活で手を抜くのと同じ意味になるんですよね。

たとえば勉強で手を抜いていると、部活の最中にふと

「あ、明日の数学のテストやばい。」とか

「このままの成績だと大学いけない。」とかを考えてしまうわけです。

こう考えてしまう時点で部活に集中できていないですし、結果が出るわけもありません。

部活以外の要素(=勉強)に不安が無いからこそ、部活に一生懸命打ち込める。

勉強を一生懸命やっているからこそ、部活に夢中になれるんですよね。

これは「両道」などという別の道ではなくて、

学校生活という「一道」の中に「文武」という2つの要素があるだけなんですよね。

ワークライフバランスも一連の流れ

これは学生だけの話ではなくて、社会人も同じです。

よくワークライフバランスといいますが、

「バランスを考えてちょうどよく働くこと」

ではなく、

「仕事に正しく向き合うことで、プライベートも充実して過ごせること」

なのではないかと思います。

本気で仕事して、本気で遊ぶ、ってことですよね。

プライベートを充実させよう、として仕事で手を抜いたとすれば、

そこで流れは狭まったり緩やかになったりするわけで、

結果としてプライベートの充実も小さいものになってしまうのではないでしょうか。

まとめ~一道をいかに太く生きるか~

というわけで、文武両道、という分かれた2つの道ではなく全ては1つの道に過ぎないのではないか、という話でした。

1本しか道がないのであれば、そこをいかに太く、長く作っていくのか、という非常にシンプルな思考に落ち着きます。

それゆえに必死で働いて必死で遊ぶのが僕のポリシーですね。

ではまたいずれ。